Innovativeの濫用が気になる

Innovativeの濫用が気になる。インドネシアで色々な人と政策対話を日々やっていると、ほぼ例外なく聞く一文がある。「インドネシアは特別だから、他の国の政策は当てはまらないので、革新的なアイデアが必要です」と。

たとえば、「インドネシアではインフォーマル経済が大きすぎるので、フォーマル経済が大きい日本の政策は参考にならず、Innovativeな他の政策を考えよう」といった議論になる。私は、「インドネシアがフォーマル経済に定義されるべき人をインフォーマルと定義してるのが原因なので、根本のルールが間違っているだけで、Innovativeなアイデアは不要」と返答。実際、インドネシアでは多くの人が年金の加入権利すら有さない。家政婦に至っては、労働者とすらみなされておらず、労働基準法や最低賃金の適用もない。

根本のルールを見直さず、Innovativeというキラキラワードに隠して小手先の解決策を探す傾向は否めない。他国の事例、国際基準、歴史から学ぶ以外に、私たちは未来を予期することはできない。

Innovativeという言葉をインドネシアで聞いたら、「過去・他国から学ぶの面倒なので、無から皆でブレストしよう」という意味だと私は自動変換し、反論を始める。

ところで、革新的なアイデアが必要なのは国連職員の雇用対策の方で、労働者にも関わらず、国際労働基準は適用されない。

たとえば、社会保障の最低基準によれば、失業給付が45%、13週間支給されなければならない。これを超える水準で、多くの国では給付条件を決めている。

国連職員にはこの基準は適用されないので、使用者の任意で未取得休暇権利の買い取りがあるだけで、退職金や失業給付用の企業積立もない。失業給付制度の新設や改善を各国で提言して歩いていると、よくこの件で冗談(核心)を言われる。