地方から国際協力へ、記事にならなかった取材メモ、十勝毎日新聞社「東京圏NOW」

地元の十勝毎日新聞社の取材記事が掲載されたとお伝えしました。ここでは取材の過程で私の方で用意した質疑応答資料を公開したいと思います。国際協力のキャリアに関心のある方の参考になれば幸いです。なお、取材は2016年3月に実施されたものです。ローカルネタが満載ですが、悪しからず。

1.経歴を教えてください。

士幌町出身、士幌小学校、士幌中央中学校、帯広柏葉高校、香川大学法学部、英国サセックス大学大学院、国際労働機関(インターン)、国際協力機構(JICA)です。日本の政府機関職員として、開発途上国の援助(ODA)の実施に携わっています。3月下旬で退職し、国際労働機関(ILO)へ転職し、開発途上国の社会保障制度作りに携わる予定です。

2.十勝の思い出

小学校では、スケート、サッカー、剣道に打ち込みやんちゃな生徒でした。当時60人いた同級生も今は、一クラス30人と聞いて、驚いています。中学校では、サッカーに没頭し、仲間と土のグラウンドで日が暮れるまで練習し、夜の町民プールで何百メートルも延々泳いで(体を洗い?)帰宅したのを覚えています。週末は決まって音更川などへニジマス釣りへ出かけ、新しい釣りポイントを自転車で探して歩いたのがよい思い出です。

高校へは毎日、帯広までバスで通っていて、サッカー部の練習が終わって帰宅するころには10時を回っていました。疲れ切って勉強などできるはずはなく、毎日机で居眠りし、受験も案の定、失敗。札幌で一年浪人しました。週末もサッカー部の練習試合が毎週あり、北高、農高、緑葉、三条へ柏葉から自転車で通っていたのが思い出です。

3.現在の十勝の関わり

帰省時期が不定期なのですが、冬であれば、糠平湖へワカサギ釣りに出かけ、夏であれば、音更川にニジマス釣りへ出かけています。小学校のころから変わらぬ趣味ですね。

4.現在の職務について(内容、やりがい、苦労、今後の目標)

JICAでは、アフリカのケニア、ソマリア、ナイジェリアの開発援助に携わりました。アフリカへ2か月に1回渡航し、日本代表として相手国政府と国づくりについて話し合うのはとてもやりがいがある仕事でした。26歳のころ、ケニアの保健大臣と大臣室で議論したこともありました。

開発援助のプロフェッショナルとして、やりがいは、途上国の人々と一緒に仕事できることです。援助というと、「先進国がかわいそうな途上国へ支援する」イメージがありますが、私の感覚としては、一緒に国づくりをする喜びに近いものです。士幌役場職員が士幌の街づくりを考えているように、私は担当する途上国の国づくりを一緒に考える立場で仕事しています。

苦労は、語学と考え方の違いです。仕事をする仲間が、多国籍なので、英語は欠かせないです。十勝で18歳まで過ごし、その間ほとんど海外旅行へ言ったことが無い私にとって、語学は大きなチャレンジでした。JICAの同僚を見ても、家族が商社やメーカーの海外駐在していて帰国子女だったり、東大や京大を何も勉強せずに入ってしまったような秀才ぞろい。士幌出身の私がかなり場違いですが、努力実り(?)、今では肩を並べて普通に仕事に取り組めています。

今後の目標は、JICAにも十勝出身者はほぼいないと思いますが、さらに数少ない国連職員として開発途上国の社会保障制度と貧困削減政策の専門家として活躍したいと思います。また、日本の皆さんにも途上国の最前線で起こっている出来事を伝えて生きたいと思っています。オンラインマガジン「The Povertist」をつくり、仲間と運営しています。

5.仕事を通じて感じる国際社会や日本の役割について

国内問題をよそに、税金を外国の開発援助に使うな!という批判があるのは承知しています。しかし、開発途上国の人々や政府関係者と話すと、日本を悪く言う人はいません。日本がJICAが、非軍事部門で、地道に支援してきたからこそ築けた信頼関係を肌で感じることができます。

十勝との関係では、JICA帯広を通じて、アフリカやアジアの行政官の研修を行っています。これらの行政官は国へ帰るとキャリア官僚であることが多いです。実際に、途上国政府関係者と話していて「帯広で研修やったよ」と思い出話から会話が始まることも多々あります。日本ファン、十勝ファンが20年先の開発途上国の大臣になっていることはよくある話なので、開発援助を通じて人と人の交流(技術移転)を続けることが日本に求められている役割と感じます。