キャッシュレス化が進むインドネシアと進まない日本

新紙幣発行やキャッシュレス化関連のニュースについたコメントで、賛同する声が多い。日本では「年寄りがこまるからキャッシュレスは無理」という考えが主流か。現金を使える店が少数になりつつあるジャカルタはたしかに若者が多いが、年寄も選択肢無いのでキャッシュレスに適応している。

全国民がキャッシュレスに対応できるわけではない。田舎のお年寄りが移動販売でキャッシュレス決済できますか。クレジットカード作れない人もいるし、コンビニでも払い込み用紙はペイペイ等の決済は未だできないしね。都会で使いこなしている人は良いですが、全国規模で見るとまだまだです。政府もデジタル化を推し進めていますが、日本は災害も多いし、高齢化が進んでいるので現金をなくすのは無理ですね。それに使う方はそれでも良いかもしれないけれど、受け取るほうはそれなりの設備や手数料に頭を悩ませます。(ヤフコメより)

日本では年をとる毎に「学ばなくても許される」という甘えが許容されるのはなぜだろうか。社会人も高齢者も、人生を通じて日々学ばなければ社会は進歩しない。

自由主義社会では人々は平等なはずだが、民主主義を通せば多数の意見が尊重される。年寄が多い社会では若者の意見は尊重されず、若者が年寄りに学び、年寄りは若者に合わせない社会となる。

同様のことはインドネシアでもある。イスラム教は国教ではなく、他の宗教を信じる国民も平等に扱われるべきだが、イスラム教中心に社会は構成されている。

例えば、酒を買うと中身が見えないように真黒な袋に入れられ、断食月には昼間のレストランには目隠しが施されるなど、イスラム社会への配慮が求められる。一方、隣のモスクの拡声器から流れる爆音が規制されることはなく、真夜中の3時半に目が覚めることに関しては我慢を求められる。

政治と行政についても同様で、例えば宗教省はメッカへの巡礼に関する補助金に多額の予算を投入しているが、財源がムスリムから徴収のみに頼っているのか定かではない。