腫れ物に触る不可侵条約
これは国際機関の文化なのか、西洋の仕事文化なのか分からない。
業務の分掌ははっきり決まっていない一方、「縄張り」意識が強い。
分掌と縄張りは同じじゃないの?と思うかもしれない。
微妙に違う。
業務分掌は契約書上の分掌。ただ、どこの世界でも同じだが、契約書というのは業務分掌が拡大解釈できるようにできている。雇用する側は幅広い業務を扱ってもらう方が良いからだ。そういうわけで、実質的な業務は「縄張りによりけり」となる。
たとえば、客観的に見て明らかに会議を延長したほうが良い場合を考える。諸事情によって会議のアレンジが後手に回り、主要な出席者を集めることができなくなりそうな場合である。
私は、「延期したほうが良いのでは?」と提案するわけである。ただ、どうも感覚が違う人が多い。
「これはあの人の縄張りだから、私たちが勧め方に対して口出しすべきではない」という意見。口出しと言えば聞こえは悪いが、私の感覚からすれば提案である。
あの人が成功したらあの人の功績。あの人が失敗したらあの人の責任。各自の縄張りを同僚であっても侵してはならない。そんな意識がしばしば見え隠れする。
海外のオフィスワーカーを神聖化して「ゴールだけ決まっていて、ルートはその人の自由。結果だけで評価される」と目を輝かせて語る日本の友人がいるが、それは本当にすばらしいことなのか?
一人の仕事を、組織全体の責任と捉える企業文化が日本にはある。一方、こちらで触れるのは、一人の仕事はあくまでその人の責任という文化。
日本では失敗したから会社を辞めるという文化は無い(一部の経営層除く)。終身雇用が一般的であることが大きい。個人が失敗すれば上司の責任で、その責任は経営層の責任となり、会社の責任となる。
西洋文化では、同じ会社にずっと勤める人のほうが、日本と比べるとはるかに少ない。短期間に実績を上げることが、個人としては大切。組織として長期的に達成すべきビジョンを体現する個々のスタッフは当然少なくなる。
誤解を恐れずに言えば、個人の失敗は個人の責任。親玉(リーダー)のクビが飛ぶのは会社の名誉にかかわることなので、トカゲのしっぽ切りをすることでリーダーは生き延びる。日本とは真逆の発想である。
組織にとってどちらが良いかは明らかである。しかし、個人の実績を重視する文化にも慣れていかなければならない。もはやそこに真のマネジメントは存在しないが、一旦文化を受け入れて、そこから発展させなければならない。
文化の違いには慣れが必要である。