研究論文がなぜ読まれないのか?
先日、Povertist Bulletinというオンラインジャーナルを立ち上げました。コンテンツはこれまでThe Povertistへ掲載してきた記事をPDF化して、デザインを少しカッコよく仕上げただけです。
ブログをPDF化したら引用される?
今回の試みは、「ブログは引用されないが、ブログをPDF化したら引用される」という仮説の検証でもあります。
The Povertistで扱う記事は、大きく分けて2つあります。一般向けのコラムと、実務化向けの解説・分析・ニュース記事。後者は開発援助に携わるJICA職員、専門家、コンサルタント向けのコンテンツです。
検索ワードや閲覧が多い時間帯をアクセス解析で見ると、開発援助従事者が業務の一環で閲覧いただいていることがわかります。
一方、ほとんどのケースでは正式な文書に引用されず、文言を少し変えて情報を使っていただくケースはあります。
そこで今回の疑問。積極的に引用してもらうためには、フォーマットが悪いのではないか。体裁をジャーナル形式にしてPDF化すれば、引用しやすいのではないだろうか。
The Povertistでは基本的に、「改変無し・非営利」であれば再利用・転載可能であるクリエイティブコモンズの著作権表示をしていますので、どんどん引用いただければと思っています。しかし、どうしても正式な文書へウェブサイト記事を掲載することは抵抗があるのではないか。一方で、PDF化すれば、引用しやすいのではないか。
そんな思いから、実験的に「ジャーナルを立ち上げた」と胸を張ってみたわけです。
PDFは引用されやすい?
私も経験がありますが、公的な機関で実務や政策立案に携わる方々にとって、ニュースやブログ記事を引用するのは避けたい心理があります。一方、PDF化されたしっかりした見た目の文書は好まれます。
新入社員だった頃の上司の言葉が今でも耳に残っています。
「実力はあるし、内容の濃いレポートを書くのに、文書の読みやすさやデザイン・スタイルなどの些細な部分を綺麗に仕上げられず、過小評価されている人を何人も見てきた。内容は良いのに評価されないのはもったいないこと。」
まさにこのコトバのとおりだと感じます。
研究論文がなぜ読まれないのか?
少し話を飛躍させます。
研究者の方に上記のような体裁の重要性を語ると、「役人は内容を見ずに体裁ばかり気にする。本質を見るべきだ。」と言います。
たしかにおっしゃるとおりです。
しかし、公的機関の世界はそのように回っていないのです。
現実的な問題として、現在の世の中には情報が多すぎます。体裁や文章が読みにくければ、どんなに優れた内容でも手にとって読む時間はないのです。
研究者の論文が実務家になぜ読まれないのか?
答えは単純で、長すぎて読みにくいからだと思います。実務家が作成する「良い文書」の多くが1ページ以内に簡潔にまとまっているものです。
実務家は研究を理解する努力を。研究者は実務家のニーズを理解する努力を。双方の歩み寄りはこんなところから始まるのかもしれませんね。
エビデンスに根ざした議論を簡潔に。それをコンセプトにPovertist Bulletinを立ち上げました。
成功するか分かりませんが、実験です。引用しやすいように、今後も改善を加えて生きたいと思います。