国連職員の責任感、やりたい仕事と、やらなければならない仕事
国際機関で仕事をしていると個人主義の組織文化に直面することがあります。
日本の組織だと、社長、部長、課長へ組織の意思が伝わってきて、担当がその指示に従い、課長、部長、社長へと事業報告が上がっていく。組織の方向性へ向かって、部や課が動くのは組織として当たり前のことです。
しかし、国連で仕事をしていると、この当たり前のことが実行されていない場面にしばしば出くわします。やりたい仕事だけやって、やりたくない仕事は寝かせておく。会いたい人にはカフェでお茶でもしながら話して、出たくない会議には出ない。そういう人も少なからずいます(ほとんど・・?)。
もちろん、これはどういう仕事を担当しているかにもよると思います。締め切りや仕事のスケジュールがある程度決まっている場合はこの限りではないでしょう。例えば、経理、調達、案件管理などは、ルーティーンがある程度決まっているはずなので、やりたくなくともやらざるを得ない状況が多いと思います。一方、研究や政策(Policy)の仕事など、締め切りがあまり明確に決まっていない仕事をしている人は共感してもらえるのではないかと思います。
「仕事を選ぶなんてけしからん!」という思いはあります。ただ、仕事を選ぶこともある意味仕方ないのかもしれません。国連は終身雇用ではなく、個人の力量と経験で数年おきに契約を勝ち取っていかなければなりません。そのためには、自分のキャリアにとって意義のある仕事(やりたい仕事)を選んでいかなければなりません。やりたくない仕事に時間を費やしていると、自分のキャリアにプラスとなる仕事に時間を割けなくなります。
こんな風に、キャリアの自己防衛のために、やりたい仕事しかやらない人はそうしているのだと、最近理解してきました。
ただ、理解はする一方、組織としては全く機能しなくなるので、改善すべきだと思います。世界を良くするという責任感より、自分の生活とキャリアを優先する。そういう職員を野放しにしている環境を変えなければ、国連は弱くなってしまうような気がします。
国連改革は、この本質へ切り込まなければなりません。