グラブタクシー運転手の話
グラブタクシー運転手の話。ジャカルタから車で2時間のバンドン出身で、3ヶ月前にジャカルタに出稼ぎに出てきた三十代。専業主婦の妻と子供をバンドンに残して、月に一回帰省する。出稼ぎを決めたきっかけは、バンドンで経営していた中古車販売業がコロナ禍の需要減で立ち行かなくなり、畳んだらしい。グラブの月収は6-9milルピアで、自営のときの25milルピアと比べて激減。お金をためて、また中古車販売業を始めるらしい。
ジャカルタの平均賃金は4-5milルピアなので、平均以上の稼ぎがある。しかし、自分でビジネスをしていた当時は4倍の月収があったので、割に合わないようだ。インドネシア人の金銭感覚は、統計的な平均値で考えると見誤る。色々な人と会話している肌感覚では、上位と下位の差が大きく、上位は更に上を目指す野心を隠そうともせず、下位は逆転できない社会構造を理解していて諦めている。
年金はもちろん社会保障も信用していないし、ライフプランすらない。今週来週の予定すらたてられないビジネスサイクルの中で社会が回っている。皆が同じ状況なのである意味不安がなさすぎて幸せなのだろう。経済的に見れば、その楽観主義と計画実行能力の低い社会構造は危うい。今は低所得者層が多く、高所得層が経済社会を牽引している。貧しい中所得者層が今後増え、あと二十年もすれば無年金低中所得者層が大量に退職する。年金制度がほぼ未整備の中、国民は年金制度整備に無関心で、漠然となんとかなると考えている。
貧困層は大変だろうが自分や家族だけは大丈夫、という発想がある。困った人には施しをするから大丈夫。地域や親戚で支え合う文化があるから大丈夫。ゴットンロヨンという文化がインドネシアにはある。社会対話を日々する中で最近よく労組や政府に話すのは、「あなたたちが誇りに思っている相互扶助の思想は、自己中心的なんじゃないですか?」ということ。もちろん気を引くためにあえて挑発的な切り出し方をしている。つまり、「自分や家族だけは大丈夫で、なにか身内にあれば知人くらいまでなら助けるという発想」で、「なぜ相互扶助の範囲を知らない人や国家全体に広げることができないのか」
という話をする。文化的な誇りを逆手に取って、説き伏せる論理構造で、その場はなるほどという感じで終わる。ただ、それを国民全員が共有できるかといえばそうではなく、あくまで小さな単位で生きることを考えているし、民族や宗教を超えた婚姻関係も認められにくい社会。
インドネシア社会は、日本やヨーロッパのような社会構造ではなく、中国やアメリカのような家族単位の自己責任で生きていく社会へ向かっていると感じる。