中所得国の罠と援助とMissing Middle
中所得国の難しさ。低所得国の頃は先進国が我先にとODA予算の配賦を行い、開発援助が黙っていてもやってきた。中所得国になったとたん、先進国は援助を減らす。インドネシアのように中所得国の中でも上位に近づいてくると、先進国は援助を完全に止めたり、止める準備に入る。
この頃になると、周りの国との比較から、「先進国から援助されなくとも、自分たちでやっていける」とインドネシアのような国は考え始める。実際、インドネシアでは、援助機関の地位は極めて低い。低所得国では偉い人に簡単に会えても、ここではアポをとることすら難しく、「あなたたちの活動を手伝ってあげている」という意図の発言を耳にすることも多い。
「Missing Middle」というのは上手く表現した言葉だと感心する。インドネシアのような中所得国は、経済的に急成長を遂げたことで自信・過信を得ているが、社会的な側面は極めて未熟であることが多い。社会保障の文脈でこの言葉は、「低所得層は貧困削減政策(生活保護等)で守られるが、中所得層になった途端に選定基準から漏れ、高所得層になるまでは社会保障の恩恵を得られない(保険料を払えないため)」という意味で使われる。
まさにインドネシアの現状を表現している。開発援助機関についても同じことが言える。ILOのような組織は、各国政府の拠出金で事業を継続しているわけだが、中所得国の事務所には資金が配賦されにくい。インドネシアのような国は、社会的には子供で、経済的には大人になってしまった状況で、社会政策に関する国際社会の支援はある程度必要と感じる。一方、経済成長を基準としてODAは振り分けられるのが現状なので、ILOのような組織の事業は縮小していく。これを打開するためには、現地政府、現地民間企業、現地国民から資金の提供を得るのが一つ。UNICEFなどは、社会政策に関する国際社会の支援はある程度必要と感じる。一方、経済成長を基準としてODAは振り分けられるのが現状なので、ILOのような組織の事業は縮小していく。これを打開するためには、現地政府、現地民間企業、現地国民から資金の提供を得るのが一つ。UNICEFなどは、社会政策に関する国際社会の支援はある程度必要と感じる。一方、経済成長を基準としてODAは振り分けられるのが現状なので、ILOのような組織の事業は縮小していく。これを打開するためには、現地政府、現地民間企業、現地国民から資金の提供を得るのが一つ。UNICEFなどは、