けれど空は青

目の奥に違和感を覚え、いつもの朝を迎えた土曜日。昨夜のイタリアワインの残党が、頭のどこかで最後の抵抗をしている。

仕事で大量の文章を読む私は、プライベートで本を開くことは少ない。仕事以外で最後に本を読んだのは、もう記憶にないほど前のことだ。それでも数年ぶりに本を開き、ワインの残党が全ていなくなった午後の木漏れ日の中、その本を読み終えた。

ASKAさんが一昨日出版した書籍「700番」。

ミュージシャンとして表舞台に立ち続けていた矢先、覚醒剤の使用で逮捕、釈放、そしてまた逮捕、不起訴。純粋であるが故、どんな人でも信用してしまう優しさがある。責任感が強く、自分を追い詰め、苦しみの崖に身を置く。

事件の裏側を語る告白本として世間では注目されているが、一息で読み上げた感覚は「親近感」と表すに相応しい。たった一人で名作を書き続けることを求められた姿に、どこか自分の姿を重ねた。

周りのアドバイスは「私ではない」

孫子の兵法を引用して表現した一文がある。親身になって助言をくれる素晴らしい仲間や身内がいる一方、自分が正しいと感じたことは、それを信じて真っすぐに進む。その結果、最後は自分だけを信じ、孤独にさいなまれながら決断していく。

北海道の田舎町で生まれ、身寄りのない札幌で一浪。真っ暗な廊下を手探りでもがいた一年後、香川の大学へ進学。地元では香川がどこにあるのかも、知られていなかった。身寄りのない場所でもう一度最初からはじまった人生。ロンドン、カンボジア、東京、ケニア、アメリカ、スイス。終わりのないひとり旅がどこまでも続く。

私の人生には「先輩」がいない。田舎から田舎へ移り住み、見ず知らずの外国から外国へ誰も頼らず移り住む。親切な人はたくさんいて、感謝しきれない程のありがとうが、心の奥の方から溢れてくる。だけど、いつの時代も自分が進む先には道標はなく、前後左右、どちらの道を進めば崖があるのか、自分の決断だけで進むしかない。自分の判断は自分の責任であり、周りのアドバイスに責任はない。周りのアドバイスは「私ではない」。

ひとりと孤独は違う

自分の判断を信じて戦っていると、孤独にさいなまれる瞬間が訪れる。書斎という自分の世界に籠って、ドアの向こうで待っている人へ名作を届ける。その瞬間を思い浮かべることだけが、今日の自分を支え、明日も頑張ろうと元気づける。しかし、ひとりで作業することと、孤独であることは違う。

心の叫びにも似た一文がある。「ひとりと孤独は違う。ひとりは好きだが、孤独はゴメンだ。今、やらなくてはならないことは、仲間を増やすということ。」

日々の仕事に関して言えば、人と話をすることはほとんどない。ASKAさんが書斎に籠って詩をしたためるのと同じように、自宅から個室のオフィスへ出かけ、そこに籠って自分の考えや感情を文字で表現していく。どこかで待っている顔の見えない誰かのために、レポートを書き続ける日々だ。

ヒットが出ない責任

そして365日、良い作品を世に送り出すことだけを考えて生きている。音楽とレポートの差はあれど、世界に存在しなかった自分だけの作品を生み出そうとしていることに違いはない。ヒットが出なければ、私は仕事を失う。仕事を失えば、積み上げた積み木が音を立てて崩れる。誰も頼ることはできない。仲間はいるが、作品はひとりで作らねばならない。周りのアドバイスは「私ではない」。

「私はシングルヒットが出ない責任を感じていた。どの曲も、ヒットを狙っての作曲だった。そして、いつしか10年の歳月が流れた・・・(ある日、プロデューサーが言った)・・・もう、いいじゃないか。これからはヒット曲など気にせず、好きな音楽をどんどん作っていこう・・・私は解放された。」

肩の荷が少し降りた気がした。今の私には、ASKAさんのように好きな作品を作って生きていくことはできない。まだ時期尚早だ。しかし、どれほど一流の表現者であっても、同じ悩みをひとりで抱え込んでいることの事実。ヒットを出すことがいかに難しいか。ヒットが出ないことで感じる責任の重さ。そこから解放される日は誰にでも訪れるということ。

流行りのポップミュージックは競争が激しい。だからこそ、誰もやったことのない演歌とポップの融合を目指した。そして「ひとり咲き」や初期のCHAGE & ASKAのヒット曲が生まれた。一流と呼ばれる人でも、競争を避け、一番になることができる場所を探す。ASKAさんは自身のことを「ひらめきの人」と表現した。

競争の少ない場所を探す嗅覚。その場所で輝く作品をひらめく才能。少しおこがましいが、私の感覚にとても近い。私の人生には「先輩」がいない。なぜなら、誰もやったことのない場所を目指し、誰も思いついたことのない作品を世に送り出す。日々心がけていることだ。

日本にいるのと変わらない生活

ASKAさんには日本で行き詰まり、ロンドンに拠点を移した時期があった。

「ロンドンでは、ひとりでデータの打ち込みをしたり、作詞作曲をしたりで、ほぼ4か月間は外には出ていない。日本にいるのと何も変わらない生活をしていた。」

私も大学を卒業してすぐに、イギリスへ拠点を移した。日本で皆と同じ環境で戦っていても、輝く日は来ない。そう思ったからだ。イギリスでの生活も似ている。年間通じてほとんど外には出ず、勉強していたのを覚えている。アメリカ、スイス、カンボジアへ拠点を移した時も同じだ。ほとんど外には出ず、勉強したり、物書きをしたり、日本にいるのと変わらない生活を送る。場所が変わっても、やるべきことは同じだ。

どこへ行ってもひとりの時間は多くなり、ヒットを世に送り出すことが私の責任なのかもしれない。

けれど空は青

ASKAさんの曲には心があり、詩には文学的な輝きすらある。歩む道に道標はなく、新しい道へ一歩足を踏み出せば、冷たい空気に触れることとなる。辛く、苦しいこともある。だけど、顔をあげれば澄んだ空気と青い空がそこにはある。それだけは忘れないでいたい。

「外の空気に最初に触れたのはつま先だった。空を仰いだ。澄みわたる青。どんなことがあっても、こう思っていたい。けれど空は青。」