サッカーにタイムキーパー制が必要な時代

長年サッカーに携わっているが、タイムキーパー制導入した方が公平感があると思う。この試合の様に、主審が一方を勝たせるためにロスタイムを操作する場合、もう一方は不利になる。もし意図的ではない場合でも、証明するすべはない。ラグビーの様にホーンがなってワンプレーの方が納得感がある。

私がサッカーを始めた小学生の頃(Jリーグ開幕翌年)、審判が絶対なので抗議は厳禁と教えられた。当時はヴェルディ川崎以外の試合はテレビ放映も少なく、閑散としていた。野球で言う当時のパリーグのようだった。

現代サッカーは幸か不幸か、サポーター、特に画面越しに見ている視聴者の支持を得ることができるかが最も重要な要素となった。そのため、視聴者が録画を見直しても公平であることが重要視されるようになり、審判のジャッジも難しい時代となった。

VARの導入は顕著なことで、現場で観戦していても訳が分からない状況でも、画面越しで見ている人にとっては納得感の得られるジャッジが担保される(VARに関してはサッカーの面白みを欠くこともあるので、全ての運用に賛成ではない)。

見ている人の納得感が最も重要視される時代にあって、確実に進歩を遂げているサッカー界だが、ロスタイムの運用は石器時代から進歩の無い要素。ロスタイムでおいしい思いをしたことがある人も多く、サッカーを「劇的」にする要素でもあり、廃止はおそらくない。

それでも、戦術が緻密を極め、VARが導入され、ロスタイムだけが依然として審判の恣意的な都合によって左右されるブラックボックスというのはサッカーの進化における汚点のような気がする。

また、戦術・VAR・スタッツの公表などの影響で選手やスタッフはより厳しく評価されるようになった。一方、審判を評価したり、それに応じて審判に警告・出場停止する仕組みの透明性はない。サッカーの更なる発展のためには、審判の評価制度とロスタイムの改革がポイントとなるだろう。

最後に、神戸サポーターの方は本当に気の毒に思います。直近の数試合、サッカーとは本来関係の無い要素であるはずの審判の不可解なジャッジによって落としている。納得感の無いゲームを減らすための方策は喫緊の課題だと思います。

現場の選手も納得感の無い形なのですね。ドイツの事例は良いですね。公の場で審判が弁明したり評価される状況が無ければ、問題意識も出てこないと思います。私の小学生の頃の「審判は神様」時代から進化がないようです。