はじまりの場所で、あの日と同じ空気を吸うということ

じまりはいつも雨。薄暗いどんよりとした雲から落ちる一筋の涙は、少しシャイなイギリス流の出迎えなのかもしれない。イギリス南部ブライトン。はじめてこの地に降り立ったのは、2008年6月。ヒースロー空港からバスを乗り継いで到着したサセックス大学のキャンパス。雨が降りしきる中、学生寮の準備ができておらず、外で何時間も待った挙句、入寮が翌日に延期となったのは今となっては良い思い出だ。

英語も満足に話せず、将来の見通しも何もないゼロの状態で、あの日の僕は同じところに立っていた。そう、あの日も雨だった。数年ぶりに戻ってきた大学のキャンパス。変わらない風景。イギリスで最もリベラルな大学は、あの日と同じようにシリア国旗や横断幕があちらこちらに貼ってある。図書館の前で立ち止まって、ぐるりと体を回転させる。あの日のままだ。

日本語には美しい表現がある。初心に戻る。

あの日あの場所で感じた空気を、今日この場所で同じように感じる。これが初心に戻るということなのかわからないけれど、あれから9年、変わらない風景の中で何を思う。社会の荒波にもまれ、国際社会の不条理を感じ、またはじまりの場所へ戻る。自分の立ち位置が今どのくらい移動していて、どのように修正すれば良いのか。自分にしかわからない微調整を心の中で感じる。それが初心に戻るということなのかもしれない。

微調整

卒業生として戻ってきたキャリアセミナーで、当時の2倍に膨れ上がった大学院生に話かける。9年前は向こう側に座って聞いていた自分は、何を思っていたのだろう。そんなことを考えながら過ごした時間の全てが、僕にとっては初心に戻るきっかけだったのだと思う。

開発学研究所(IDS)には、僕の分野で活躍する研究者も多い。顔見知りではないけれど、ツイッター、メール、ブログで交流がある人も多い。博士課程のプロポーザルの修正(結局スタートできなかったが)に2年間も付き合ってくれた研究員は、まさに同じ分野(貧困・社会保障)の第一線で活躍する研究者。

挨拶周りをしながら、最近の仕事の話をしていると知り合いの知り合いは知り合いということも多い。「なんでアイツはブログで厭味ったらしく俺たちのプロジェクトを批判するんだ」と言われ、「その人と一緒に最近仕事してますよ」と返すと、「アイツのコーヒーに毒薬でも入れてやってくれ」と頼まれたり。そんな冗談交じりのやりとりの中で、自分の立ち位置がどっちなのか確認することができる。

僕の仕事は、政治や思想にかなり左右されるトピックを扱っている。社会保障や貧困削減のアプローチは、思想以外の何物でもない。だからこそ、はじまりの場所IDSを起点に、今どこに自分の思想があるのか確認することは、とても有益なのだ。

再出発

ああだこうだ、書いてみたが、纏まらない。コトバで表現できない微調整がたくさんできたのかもしれない。しばらく考えないように蓋をしていた色々なこと(博士課程や仕事や人生など)を、もう一度開けてみようか。そんな気持ちである。漬物の桶を何年かぶりに開けるみたいに。

ツイッターを開いてみると、セミナーの名言集がまとめられていた。まとまりのない話をうまくまとめるな、と本当に感心する。セミナーの光景はその内Youtubeで公開されるようなので、また紹介したい。自分の英語を自分で聞くというのは、極力避けたいのだが、やむを得ない。見よう。