土曜日のカレーライス
グツグツと立ち込める白い湯気。
2年ぶりにカレーを作る土曜の昼下がりによみがえるのは、遠い記憶の蜃気楼だった。
私が育った環境はサラリーマン夫婦の共働き家庭。
1990年代初頭の北海道の田舎町では共働きは珍しく、女性は結婚すると仕事を辞めて家庭に入るのが一般的だった。
実際、私の母が職場でほぼ唯一の女性職員で、「なぜ辞めないのか」という周りの声にも耐えて仕事を続けていたのを覚えている。
あまりよく知らないが、母は青年活動も随分やっていたようで、女性が社会で活躍できるように先頭に立って声をあげていたらしい。
当時はまだ土曜日は休日ではなく、学校も会社も土曜日の午前は平日扱いだった。
小学校低学年だった私は、その日も午前の授業を終え、2歳年下の弟を連れて下校した。
片道2キロ弱の道のりで見つける春の息吹は、今でも良い思い出だ。
自宅の物置のドアに隠されているカギを見つけ、いつもの要領でドアを開ける。
小さなダイニングテーブルには、いつものように置手紙がある。
「一平へ、鍋の中にカレールーを入れて、食べてください」
母からのいつもの指令だ。
プロパンガスの元栓を開き、鍋に火を入れる。
カチカチカチ。
三回鳴って火が付けば成功。
三回鳴って火が付かなければもう一度ノズルを戻す。
火が付かない場合はガスが充満してしまうから、気を付けなければならない。
鍋の中には、出勤前に母が煮込んでおいたカレーの具材がある。
シチューのルーを入れればシチューになり、カレーのルーを入れればカレーになる。
こんな感じで、敦賀家の土曜のお昼は、シチューかカレーが定番だった。
仕込みをするのは母。
最後の仕上げをするのは、若干9歳の私である。
ふと我に返って、IHヒーターの鍋に目をやる。
海外生活を始めて以来、カレールーはなかなか手に入らない代物。
気付けば2年ぶりに作るカレーである。
ブランクをもろともせず、手際よく作っていく。
カレー料理人歴23年。
出来上がった2年ぶりのカレーを前に、思わず写真を撮る。
スマホの中のカレーは、どこかセピア色に見えた。