途上国駐在員の安全対策の感覚の違い

日本政府の職員として途上国の援助に携わっていたので、公的機関の者としての安全対策の感覚が自分には染みついています。

こう聞いても何の事だかわからないと思いますが、要は、「管理する側」の感覚というのに近いかもしれません。

「民間企業の駐在員だってたくさんの部下を抱えていて、管理する側じゃないか」という声が聞こえてきそうですが、ちょっと違います。

ここで言う「管理する側」というのは、「安全対策をバッチリとって、危ないことはしないでください」と、「日本人関係者全員」へ周知する立場にあるということです。

つまり、開発途上国で活動する場合、村社会ですから、基本的には全ての日本人に対して、こういう意識で臨むことになります。

もっと具体的に言うと、日本政府職員やJICA職員が強盗にあったり、車上荒らしにあったり、何らかの事件に巻き込まれてしまっては「示しがつかない」わけです。

かくいう私も、海外に出ると、こういう意識で四六時中生活することが身に沁みついてしまっています。

日本政府職員以外の日本人(民間、ボランティア、期限付き雇用の方、国連職員など)とご一緒すると、安全対策の感覚の違いに驚くことがあります。

飲酒運転など、日本国内の法令に反すること(海外では基準が緩いですが)をしないというのは当然のことですが、意識の違いを感じることは多いです。

もっとも身近なところでは帰宅時間です。

私は、どんな国へ行っても7時を過ぎて帰宅することもほとんどありません。ましてや10時以降に帰宅することは年に数回あるかないか。12時以降に帰宅したことは記憶にありません。そんなレベルです。

外出先でお酒を飲む場合も、酔っぱらうほど飲まないようにしています。酔うときは自分の自宅で飲むときだけと決めています(時々守れませんが)。

こういう話を知人にするときまってこういわれます。

「出くわす確率の低い事故を気にしすぎ。人生楽しくないじゃん。」

たしかにそうですね。ここまで過敏になって安全対策を考えて行動していると、友達付き合いも上手にできません。だって、食事に行っても早々に切り上げて早退するんですから。

でも、自分が事件に巻き込まれては「示しがつかない」という環境で何年も過ごしてきたことが染みついています。1ミリたりとも隙を見せてはならない。そういう感覚が残っています。

ずっと自宅に引きこもって友人づきあいも切り上げるなんて、私にはできない。そういう気持ちも十分理解できます。

ここで言いたいのは単に、海外駐在する人の間でも、リスク管理の感覚が大きく異なるということです。

日本人が海外で事件事故に巻き込まれたニュースをよく耳にするようになりました。どんなに対策をとっていても、見方によっては「まだまだ甘い」と感じるニュースも散見されます。

リスクをとって人生を楽しむか。楽しみを削ってでも安全をとるか。

本人次第ですが、日本代表だという意識だけは忘れてほしくないと思います。

 

・・・と、偉そうなこと書きましたが、夜遅くまで心置きなく外で飲み歩いてる知人を見ているとうらやましくてたまらないだけなんですけどね。罪悪感にさいなまれてそうすることができない私は、職業病ですね。

幾度となく仕事で途上国へ主張してきましたが、思い返せば、一度たりとも徒歩で外出してよい出張はありませんでした。外務省の渡航情報が真っ黒な渡航禁止地域へ行くことも多々あり、両脇を自動小銃持った警官に固められ、前後に護送車を引き連れての出張がほとんどでした。

そういう経験しかしていないので、疑心暗鬼が過ぎるのかもしれませんね。